寝る前、目覚めた直後、そして朝食後に確認した全ての天気予報で晴れのマークが出ていたその日の串本は、いつもより少しだけ暖かいけれど、ぶ厚い雲に覆われた曇り空の朝だった。
ゲストは高校受験を控えた中三のお嬢さんと、娘さんを受験のストレスから少しでも解放してあげようと、海に連れてきてあげている優しいお父さんの親子バディ。
ガイドは女性スタッフで、今にも雨が降り出してきそうな鉛色の空を見上げて呟いた・・・『天気予報って凄い確立で外れるね』。
この時何気なく放った彼女の一言が、あのとんでもない自然現象を予言していたなんて、その場にいた誰も想像すらできなかったんだ。
いつも通りの出港、そして久々にWアーチのある白島へ。
遥か遠くの空は明るく、数時間後には覗くであろう太陽が、暖かく、そして柔らかい光を放っていた。
潜りはじめてすぐ、見覚えのある大きなシルエットが目の前を横切った。
サイパンで、テニアンで何度と無く見ることの出来た水玉模様の背中と、細長く伸びたフェンシングで使われるサーブル(あってるかな?)のような尾。
見間違うはずも無い、スポテッド・イーグルレイ(マダラトビエイ)だ。
幸先良く、アーチを目指し根魚やキビナゴの魚群を堪能。
いつもより少し短めの潜水時間でEXITに向かった。
いつも見慣れているはずの船底が異様に揺れていることに気付いたのは、水面まで3メートルほどのところで、体の中に溜まった窒素ガスを減らすための安全停止をしていた時だった。
潜る前には穏やかだったはずの海。
急に風が強くなったのかと思いながら、静かに船に上がった。
その直後、俺が目にしたものは信じられないぐらいに暗くなった西の空だった。
時間は午前10時30分頃。
日暮れが早くなったこの時期であっても明るさを失うには7時間ほど早い。
考えられることは只一つ、猛烈な雨が近づいてきていた。
俺が船に上がってから5分ほどして、女性ガイドと共にゲストも船に上がってきた。
まさにその刹那、痛いほどの大粒の雨がまるでバケツをひっくり返したかのように降り出した。
船の上にいながら、マスクをしないと前を見ることができない激しい雨。
わずか数十メートル先が真っ白になっている。
当然、陸地は影も形も見えない。
幾ら操船経験の長い船長でも、この視界の中では安全に航海することが危ぶまれる。
海面に目をやると、そこは摩訶不思議の世界が広がっていた。
あまりにも激しすぎる雨の粒が海面に叩きつけられ、跳ね返る水しぶきが高さ20センチほどまで飛び上がってきている。
まるで海の中から水が飛び出してきているようだ。
リドリー・スコット監督の『白い嵐』WHITE SQUALLを思い出した。
安全のため、アンカーリングをしてその場のとどまる事が正解なのか、或いは他の選択肢を選ぶべきなのか。
判断を迫られていたその時、ふと辺りを見渡すと数隻の船影が。
いつも利用している港を基地にしている、凄腕の漁師達が等間隔で隊列を組んで帰港しようとしている。
瞬間的な船長の判断で、その列に加わることができたのは、船長一流の読みだ。
視界の殆ど無い状態で無事港に帰りついたとき、ようやく雨は小康状態になりかけていた。
港に帰りついたときの安堵は何者にも代えがたいものだった。
直後に船長が発した言葉と、俺の感じた野生の勘は同じことを告げていた。
もう一雨来る。
それを裏付けるように、次々と港の中に戻ってくる漁船たち。
雨の降り始めから船が船団になるまでの時間は、わずか数分。
テレビやインターネットに頼らず、自分達の経験で空や風や海を感じ、変化を読む。
海の男の底力を改めて見せ付けられた日。
いつも見慣れた漁師が操る漁船が、とてつもなく格好のいいちょいワルオヤジを乗せた船団に思えた。
2本目のダイブをキャンセルし、ショップに帰り着いた頃には海は再び10メートル先も見えないような豪雨にさらされていた。
雨の中で器材を洗い、すっかり塩気の落ちた体をシャワーで温めてから着替える。
ランチを食べながらログ付けや、近頃話題の食品衛生について色々と話をしていると、気付けば雨は上がり青く美しい空が広がっていた。
その日の午後は、夕陽が沈むまでずっと眩しい陽射しが降り注いでいた。